ご病気じゃないの

旧FC2ブログ『ご病気じゃないの?!』自殺遺族で自殺未遂者

辛い記憶は反芻しないほうがいい

自殺未遂の記事は今日は休みます。

 

文章にするにあたって、辛い記憶をたどる時間が長くなって昨日ちょっとしんどかったから。

 

www.asahi.com

 

↑ちょっと古い記事ですが、コレを読んでなるほどと思ったので、今日は脳みそのためにお休みします。

 

 

脳みそって、小さいのに結構なエネルギーを消費してるんだね。

 

そして嫌なことを反芻して考え続けると弱る。

 

誰のためのブログかって、もちろん自分のためでもあるけど、同じような人がたまたま見つけて少しは楽になってもらいたい。

 

なので、気楽になるための記事だってちゃんと書こうと思うよ。

 

 

この国は戦争はしてないけど、毎年ちょっとした紛争状態ぐらい人が死んでるよね。

それも自分で。

 

悲惨なことだよ。

 

日本中自殺予備軍がいて実行する人がいて、誰でも自殺遺族になる可能性がある。

 

自分には関係ない、そんな弱い家族はいない、そう思ってても現実は違うって、届かないかもしれない声を上げ続けるよ。

 

胸が重くなるような話も書くけど、自分を守ることも忘れないように、今日は休みます。

 

 

自殺未遂「ご病気女のホントの最初 1」

忘れないうちに起きたことをそのまま記録しておきます。

 

私の脳内にはいつも「死ね」と命じる誰かが住んでいる。

 

初めての出会いは小学校2年(もしくは1年の終わり)。

 

私の父は筋金入りの暴れん坊で、モラハラ男で弁も立つ人だった(生きてる)。

 

家庭は安全でも安心でもなく、父がいると常に緊張状態。

 

父の機嫌が悪ければどんなことだって難癖つけられ、悪くなくてもほんの些細なきっかけで大爆発。

 

賃貸物件なのに盛大に窓ガラス割ることも数度。

キレると本人でも止められないタイプの困った男。

盗んだバイクで走り出しちゃえよ。

 

 

そこに似たような境遇の友達が「両親が離婚したんだ」と、清々しく報告してきて、こんな逃げ道があるのか! と私は母にそれを話した。

 

母は青ざめ、怒りに震えながら

 

「あんたたちがいて、どうやって離婚できるの?

あんたが残る? でもあんたにお父さんは金を出さないよ!」

 

まあ、つまり子供一人ぐらいなら女手ひとつでいけるが、2人は無理で、連れて行くなら妹だっていう本音が出ちゃったわけだ。

 

寒い日だった。

 

いつも遊ぶ土手を登って、大きな川に架かる橋の上で足を冊から放り出して、初めて死にたいと思った。

 

風邪は強く、ぶらぶらと半端に宙に揺れる両足は冷えて血管が浮いていた。

 

その時から、「声」が聴こえるようになった。

 

「ここまできてまだ飛ばないのか」

と。

 

声は父にそっくりだった。

 

煽る口調も。

 

周りを見渡しても誰もいない。時々車が通るばかりだ。

 

声はしつこく飛べという。

 

でも、私はすでに泳げたし、ここで飛び込んだところで死ねる気がしなかった。

それに死ぬのは怖いし、寒いのも痛いのも大嫌いだ。

 

時間は流れるばかりで、惨めで、泣きたいのに、涙も出ない。

 

声は暗くなるまでずっと私を煽り罵り、私はその声を受け入れてただ聞いていた。

 

お腹が空いて、結局は家に帰る。

 

「意気地がねえな」

 

声は追ってくるけど、ホントのことだと思って少し泣いただけだ。

帰る場所はそこしかないのだし、死んで母を自由にすることもできなかった自分が嫌いだと思った。

 

(今考えれば、死ねば死んだで母は嘆いたろうし、事前のやり取りを悔いるぐらいの愛情はあったんだよ)

 

以降、何年かの間隔で声は私に自殺をそそのかすようになる。

 

そのうち自分は長くは生きられないかもなあと思うようになり、傍目には普通に過ごしながら「終わり」を待つようになった。

 

私の今回の自殺未遂は、この声との最終決着だった。

担当医がADHDで会話が辛い(2018年2月精神科通院)

なんで精神科通院のとき毎度憂鬱で、帰るとぐったり寝込むか今日わかった。

 

今回は母が診察についてきてくれたんだけど、

あのお医者さん、人の話聞かないよね」

 

と呆然と診察後につぶやいた。

 

それだ……!

 

脳みそ全体に電気走った感!

今更だけど、そうだったんだ。

 

何度も同じことを私が「そうですね」言うまでやめないし、人の話を全然聴いてないし、自分の意見しかカルテに書かない。

 

そら、話してて消耗するわけだ。

 

なるほどなあ……

 

担当医はADHDなのだが(本人談)、私もその傾向があるので「まずい組み合わせ」なんだろう。

 

毎回毎回、現実的じゃない提案をしてくる(このド田舎で障害者雇用事務パートを探せという)のも彼の「こだわりポイント」だったんだ。

 

障害者雇用については、一緒にネット検索して通える範囲には無いってことを一度ならず確認しているんだけど、毎回忘れちゃうのか、まだイケるはずだとこだわってるのか。

 

あと、障害者雇用に対する企業の姿勢も全く理解していない。

 

医者は医者しかしたことがないから、仕方がないんだけど、

 

障害者雇用なら具合が悪くても休める、体調を考慮した仕事を与えてくれる」

 

という意見を曲げないんだけど、営利企業がそんなわけないだろ……。

 

 

精神障害をもつ都会の友人に現実をいろいろ聞いたけど、運良く理解ある上司に恵まれても、何度も休むうちに居心地が悪くなって結局皆何度も転職したり、入院したり、つまり悪化させている。

 

私が以前働いた工場だってそうだ。

 

パートで週4勤務でも、それ以上休める状況じゃなかった。

 

休めば私の仕事は他の人の負担になり、同僚にいい顔はされない。

 

 

居ても居なくても構わない仕事を与える余裕はないんだよ。

 

それが会社ってもんだよ。

 

 

毎日毎日、不要書類をシュレッダーに掛けるだけの仕事で時給950円以上もらえたら最高だけど、それってもう雇用とは違うよね?

 

お恵みですよ。

 

 

…病院帰り、母を誘って外食してみた。

 

いつもなら、家で悶々としている時間だけど、レストランの接客は素晴らしく、食事も味覚が鈍ってるわりに美味しい気がした。

 

そのおかげで、いつもとは違う気分で薬局で薬を買い、「あの先生はああいうキャラだから、処方箋マシンだと割り切ろう」と思えた。

 

大きな収穫だった。

 

次回から、一人でも精神病院帰りは1つなにか気分が変わることをしようと決めた。

 

外食はまあ、一人じゃ面白くないだろうから例えば新しい本を一冊買ってベッドサイドに用意しておく、とか。

 

 ちょっと前に自殺未遂した割に、前向きでしょう。

 

今後詳しく書くけど、今は死のうとは思ってないんだよ。

 

長い間の闘いがやっとひとつ決着ついた、そんな感じだから。

 

 

しかしなあ、医師なあ……

 

変えることを検討する時期に来たのかもしれない。

精神疾患って疲れやすい

退院してからまだ半月でしかなかったのに、頑張りすぎた。

 

私の病名は「統合失調症」だけど、今の担当医は「鬱とADHD」じゃないかという。

 

どっちにしても、脳みそが不調なのでちょっと負荷をかけるとすぐにぐったりしてしまう。

 

どんなぐったり感か、発症する前の若い頃を思い出して表現すると、インフルエンザ直った直後、が一番近い。

 

関節も重いし、呼吸もいつもより浅いし、うっすら頭痛がして明るいものを見ると目が痛いし霞む。

状況が許せばまだ横たわっていたいんだけどな、というあの感じ。

 

あれが、日常の家事をちょっとやっただけで来る。

 

だから、毎日生きるだけでふうふういっている。

 

 

今日もそれだ。

 

コンサータを朝飲めばよかったんだろうけど、あれはあれで動けるから反動がすごいのだ。

 

といっても、私の身体が許したコンサータの量はたった18mg。

 

朝飲んで、昼過ぎには切れる。

 

そのあとは完全に役立たずだ。

 

だったらたまに飲まない日を設定して(続けると効きにくくなる)、ちょっと動いてちょっと休むを繰り返せばいいのかなあと。

 

保護入院からの解放後、妙に気合を入れすぎた。

 

身体はなにも変わってないんだから、今日は休むべき。

 

回復したら、忘れないうちに保護入院のことを記事にしたい。

 

閉鎖病棟に抜き打ち監査が入りますように、そういう世の中になりますように。」

 

願いをこめて。

 

保護入院と保護室(人生イチ危険な宿)

コレが保護室だ!

 

 

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忘れないうちに間取りを描いた。

 

外から鍵のかかる前室があり、さらにその奥に3つの(外から)鍵のかかる保護室がある。

 

個室の内側にはドアノブはない。

 

内側からはもちろん鍵はかけられない。

 

 

入院当初、本来鍵不要と医師に言われていたにもかかわらず、何度も鍵をかけられて困ったよ(看護師たちの癖になっているんだと思いたい)。

 

※2018年2月15日追記

保護室に入ったのは暴れるから、とかではなく単に閉鎖病棟に空き部屋がなかったためなので「施錠不要」と医師から看護師に指示されたわけです。

 

何が困るって、トイレはあるけど水場がないから喉が乾いても水を飲めないんだよ。

 

あと、トイレの洗浄ボタンも部屋の外の壁にあるから、出ないと流せない。

 

今後何度も同じことを書くと思うけど、

 

病棟はいつも人手不足。

 

なので、家族がペットボトルのお茶を入院時に置いていって、私もそれを確認して何度も何度も持ってきて欲しいと頼んだのに、

 

ペットボトルが来たのは三日後。

 

……数本あると知っていたので、一本は潰してドアに挟んだ。

 

これによって看護師が

 

「あ、カギ不要だった」

 

と気付いてくれるのだ。

 

ただ問題もあり、水を補給したりトイレを流せる自由のために、安全を失ってしまった。

 

認知症保護室常連さん(仮にルフィと呼ぶよ)が

 

「オイラの部屋だ!!」

 

としょっちゅう乗り込んできてしまうのだった……。

 

 

ルフィは病気のせいで理屈は通じないし、刺激するとヤバそうなので淡々と、ここは今は私の部屋です、というんだけど

 

3回目越えた時、大きい声出しますと予告して、助けを呼んだ。

 

 

 

…誰も来なかった。

 

保護室にナースコールはありません。

保護室にナースコールはないんです。

 

 

覚えていてください。

 

 

一応、保護室前の廊下にカメラと大きい音がしたらナースのPHSが鳴るようになってはいるそうだけど、全く役に立たないよね。

 

だって、ナースステーション誰もいない時間多いし、いろんな部屋でナースコールバンバン鳴るし、優先順位がPHSのコール音にあるわけじゃない。(どこで鳴っても同じ音)

 

例え、ルフィが腰抜かすほどの大声で叫んでも、ナースステーションと保護室は中庭を挟んで一番遠くなので、まず届かない。

 

色んな患者の呻きや叫びも妨げになるだろう。

 

 

ルフィが入って来なければ引きこもるには最高の部屋だよ、専用のトイレ付きだし。

 

寒いけどね。

 

布団から出られないほど寒いけどね。

 

 

 

あとは、お隣の寝たきり認知症患者(仮に軍鶏とする)が昼夜逆転していて一晩中叫んでいるのは嫌だったな。

 

同じセリフ同じシーンの繰り返しなんだけど、ときどき、辛い思い出が襲ってくるのか聴いてると胸が痛いほどの切ない男泣きをするんだよ。

 

昼は世話のために起こされると、経験の浅い看護師に対してブチギレ。

 

看護師も若いから煽られて暴言の応酬。

 

 

海外旅行で、ヤク中少女が私の部屋のテラスに入り込んで泣いたり喚いたりした夜を思い出した。

 

そのときは、面倒臭いとこに泊まってしまったなあと、翌日から警備に小遣い渡して追い払うようたのんだけど、ここは金で解決できることは1つもない。

 

床に一枚だけ薄い布団だけで、身体も痛い。

 

覗いた隣の部屋に布団が余ってるのを見て、何度も頼んでやっと最後の方に二枚重ねにしてもらえた。

 

全部、人手不足のせい。

 

悪意じゃない。

 

ただ、人手不足のせいでいつもイライラして患者に八つ当たりする看護師は、光の速さで転職してほしいと願う。

 

 

歯ブラシと歯磨き粉は、妹が持ってきてくれたが、部屋には持ち込めないので前室の洗面台に。

 

前室、基本施錠しないので入り放題、たまに私の歯磨き粉をペロリする患者がいたよ。

 

自分のがなくなったから口に入れといて、部屋で歯磨きするんだろうね。

 

でも、知らない人にペロペロされた歯磨き粉なんかイヤなので、退院してすぐ捨てた。

 

使えないことはないけどさ。

統合失調症のせいなのか? 味覚がおかしい

入院してようやく気付いたんだけど、味覚がおかしいようだ。

 

匂いには敏感なんだけど、極端にしょっぱいか甘いかしないと味がわからない。

 

惰性で食事してたから、ほんとに気づかなかった。

 

美味しいとか、そういうのがよくわからない。

 

 

変な匂いがすると我慢できないで拒否するんだけど、それ以外は

ライスに醤油かけて食べたらいいじゃないか……

 

となる。

 

変な匂い代表選手は、病院給食の消毒薬と温かいおかずが混ざった臭い。

ムカムカするほど気持ち悪かった。

 

昔から嫌な臭いだとはうっすら思っていたけれど、今はもうその臭いのただよう空間にいることすら苦痛だ。

 

コレは一体いつからで、どうしてなんだろう。

 

私は統合失調症だの鬱だの、ADHDだの医師にあれこれ病名をつけられていて、要は脳みそがおかしい。

 

それで、社会で働くことを優先にいろんな薬を飲んでるうちに味覚がおかしくなったんだろう。

 

酒もおいしくない。

 

以前はわりと専門的な食品の仕事をしていたのに。

 

もうそっち方面は完全に無理だな。

 

 

旅に出たい(逃避)けど、行った先の食事の楽しみもなければ魅力は半減だよ。

 

いっそまずい飯で有名な国に行ってどれだけ平気なのか試してみたいぐらいだ。

 

ビタミンとミネラルのサプリ飲んでるんだけどね。

 

 

自殺未遂してから20日経ってないのに、悠長にブログ更新してるだけでだいたいのことは

「まあいいや」

だよ。

 

己の生命力にドン引きだっての。

自殺未遂と医療保護入院(旧題・自殺に失敗しました)

保護室から出られて2日めです。

 

出るまで大変でした。

 

一度やると成功するまで何度でも試みる人が多いから、なかなか信用されなかった。

 

保護室からすぐ退院だったので、今は家に帰っています。

 

条件として、母親が夜は家に来て泊まるということで、医師が許可しました。

 

父とは相変わらず絶縁状態なので、母だけが来てるよ。

 

入院させたはいいけど、病棟の酷さに妹がびっくりして、すぐに出さないと! と活躍してくれた。

 

悪い姉で悪い娘で、どうしようもないね。

 

 

 

 

 

今のところもう、死にたいとか死ぬような危険行為をする気持ちはありません。

 

精神病院での扱いから知った、「人間の尊厳の軽さ」についていずれ書きたいと思います。

 

 

※以下は引越し前のFC2の読者さんへのメッセージ

たまに来てくださる方、たまたま来て下った方、いつも読んでくださる方、ありがとうございます。

 

何故こんなことになったのかについても、おいおい書いていきたいと思っています。

 

 

 

いま、死にたい人へ。

 

かなり入念に準備しましたがそれでも失敗しました。

 

その後は保護入院となり、常時人手が足りずイライラした看護師が、入院患者を罵るような環境に身をおくことになり、弱ったところをえぐられて辛かったです。

 

やめておいたほうがいいです。

 

お金に困ったら、市役所へ行って、どうしてもどうしてもだめなら、好きなところで死んでいいと思いますけれど。

 

布団が好きならお布団で、日向が好きなら日当たりの良い部屋で。

 

腐って発見されて罵られても、もう聞く耳は溶けてるわけだし。

そのぐらいの救いはあっていいんじゃないかと。

 

仕事として、専門業者に淡々と片付けられる、それだけです。

 

賃貸だと、ちょっと工夫が必要かもしれませんけれど(遺族に損害賠償請求がいくかもしれません)。

 

 

 

 

私はいろいろ先々の人の迷惑を考えすぎて失敗しました。

よく覚えてないんだけど、吐き気止飲んだ後、薬粉砕したフードプロセッサーをキレイに洗ってあったって、さ。

 

ばかだよ……orz

 

 さっさとヒモに首かけたらさっくり終わったのに、考えすぎました。

その日お腹壊して空きっ腹だったから、急いでやらないと薬すぐ回っちゃうのにね。

 

ばかだよ。

 

最後の電話から数時間後妹が心配して家に来て、救急搬送、胃洗浄などは特になし検査のみで起こされて帰宅。

 

翌日通院している精神病院に行ったら即保護室行きだった。

 

 

そして、今回入院して強く感じたのは、長生きしても金と健康がなければ本当に心底惨めだということ。

 

つまり助かって万歳、これから頑張る! とはちょっと違うんだ。

 

閉鎖病棟で人権がないということはどういうことか、徹底的に身体で覚えさせられました。

 

 

あそこしか住む場所がない人たちは、日々順調に(?)荒廃していっています。

 

酷いところです。

 

 

老後、認知症が進んだり病気が悪化して金が尽きても、絶対に入りたくありません。

 

仮に生活保護で入院費全額まかなえても断じて入りたくありません。

 

そのときこそ、本当の「さようなら」なのだと思います。

 

ただ、今はまだそのときではない、ということです。

 

 

 

 

5泊6日、費用は国保で3万4千円。

 

正直、今まで行ったどの国より危険で不安な宿だったと断言できる。

それはまた後日記事にします。

 

 

自殺騒ぎは良くないことだし、沢山の人に迷惑をかけた反省はもちろんしているよ。

 

ただ、縁あってこの記事を読んだ人に想像してほしいんです。

 

生きてるってだけでは、ダメじゃないですか?

 

健康を失って、一人ぼっちになったら、死はリアルに迫ってくるんですよ。

 

成功しても迷惑はかかるけど、今なら葬式代プラスアルファぐらいは残る。

 

それって、生き続けるよりいいんじゃないか? って思っちゃうんだ。