ご病気じゃないの

旧FC2ブログ『ご病気じゃないの?!』自殺遺族で自殺未遂者

書くことは形にすること

春です。

 

桜が満開になって、今年もやっぱり胸がじくじくするよ。

 

夫の失踪から発見までに蕾は満開になり、花吹雪の葬儀だった。

 

楽しい気持ちで春を喜ぶ日が来るのかわからない。

 

早く立ち直りたいのに。

 

 

Twitterでつぶやいたとおり、今は精神的にとても不安定で体調を保つのに苦労してる。

 

福祉法人の相談員と話したことで、一気に「すぐには変えようのない現実」が重たくのしかかってきて、生存を続ける、というだけで苦痛なんだなと自覚した。

 

もちろん、幸せだと感じる瞬間を作りたいと努力しているけど、あれもこれも先々の大きな提案をされてしまうと、途方に暮れるし、現状を惨めだと感じてしまう。

 

ブログを書くことで、形になってこの思いは残る。

 

輪郭がはっきりとして、やるべきことがどんどん積み上がっていくのが目に見える。

 

叫びたいような気持ち。

 

数日以内に、何が起こっていて、今後どうしたいかを記事にして進まなきゃ。

徹底的に休む(精神疾患からの回復序盤戦)

一月ぐらい更新を休んだ気がしたけど、二週間も経ってなかった。

 

ご無沙汰しております。

 

画面右に貼り付けてあるTwitterにあるように、意識的に休んでました。

 

 

入院のダメージを癒やせ

 

まずはコレ。

 

www.gobyouki.com

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↑にあるような事情で、心身ともにズタズタ。

 

思い出して震えたり、お腹下したりするのはもう嫌なので意識的に「考えない」訓練を始めたよ。

 

悪いことを思い出すと、連鎖的に過去の悲しいことがドカドカ脳の奥から出てくるからね。

 

 

疲れる前にとにかく休む。

 

無理しない、病人かつ怪我人、の自覚を持って生活する。

 

遠回りかもしれないけど、社会復帰できる年齢内に治らないかもしれないけど、悪化させたらもっとタイヘンだし、社会の負担にもなる。

 

 

小さなケアを自分に施す

 

自分の体をじっと観察したら、手荒れは酷いし、花粉症で痒いし、髪もモサモサだし、相変わらず膝は痛いし、痔も治ってない。

 

数年前にズレた顎も痛い。

 

これらを少しずつでいいし、出来ない日があってもいいから自分の手でケアしよう。

 

顎は都内の大学病院の歯科に行って、ズレたままでも問題ないとお墨付きをもらった。

 

ストレッチの方法を教わって、それを一週間やったら痛みが減った。

 

えええ、こんな単純なことだったの??

 

顎関節症、手術覚悟だったのに。

 

今は切って戻しても負担ばかりで効果なし、というのが学会の主流の考えなんだそうだ。

 

下顎と上顎の骨がぶつかり合っていない場合は、ほとんど筋肉のストレッチで解決するんだって。

 

 

顎で一安心したので、こんどは手荒れ。

 

水疱ができて潰れてを繰り返して痛いので、こまめに薬塗って絆創膏。

 

ささくれもできやすいので、いじらないようにマニキュアを塗ってみたよ。

 

これはいい、マニキュアのツヤツヤを壊さないように手を使うようになるのでオススメ。色は血色に近いものを薄く塗ると健康的に見える。

 

髪の毛も切ってきたよ。

 

千円カットありがたいよね、会話も時間も最低限でさっぱりするし。

 

 

「痔」は水分と程よく油分を摂取しつつ、薬塗り続けてる。

 

膝の筋トレも、新しい方法を教わってきたので暇さえあれば鍛えている。

 

花粉症にはちょっと高いけど、花粉防止スプレーやアレル物質飛散防止スプレーを買って、ケチらず使ったら家の中快適。もちろん空気清浄機もフル稼働。

 

 

自分を大事に、を具体的に

 

思うだけじゃなくて、具体的に行動に移すと……

 

「あ、大事にしてるんだから壊さないようにしなきゃ」

 

という意識が生まれる!

 

世紀の大発見だよ。

 

 

ものすごい今更なんだけど、ああ、皆、こうやって生活してるんだなあって。

 

だからちゃんと身ぎれいで健康に働いていられるんだなあ、って。

 

 

そういうこと、知らなかったんだ。

 

だから、発症する前は身繕いも運動も「義務感」で「仕事のうち」と思ってた。

 

オシャレをするのが好きなのではなく、「仕事を達成している」ことが満足だったのかも。

 

だから身なりが整っていても、服の下は湿疹だらけになってて、それを本気で治そうと思ってなかった。

 

命尽きるまで働いて働いて、それで終わるんだろうと。

 

「誰に食わせてもらってるんだ?」

 

いう父の言葉の呪いというか、働いて金を稼がないと生きる権利も物言う権利もないと、極端な考えを持っていた。

 

働き口を失うこと、金を失うことの恐ろしさばかりで生きてきた。

 

遊びも飲みもトコトンで、それは振り返ると「やけくそ」。

 

精神疾患で病院にかかって、もう十年近いけどようやく、

 

「まずは休め」

 

と思えるようになった。

 

1日は、家事と犬と植物の世話、読書や編み物など単調な遊びで終わる。

 

でも以前ほど罪悪感に苛まれなくなった。

 

一人でいると孤独だけど、人付き合いの苦痛からは開放されているし。

 

相変わらず、「何が食べたい」「あれがしたい」は出てこないけど、それもそのうち出てくるかもしれないし、出ないなら単純に「興味がなくなった」でいいじゃない。

 

人は変わる。

 

良くなるほうの可能性に、今度は賭ける。

医療保護入院は「罰」だった

数日、記事を書くために悶々としたよ。

 

開放された時には自覚していなかったけど、私はかなりダメージを受けた。

 

記憶をざっと思い出せるかぎりノートに書き出してみて、「保護」というより「罰」だったなと思う。

 

「面倒起こしたんだから、反省しろ」っていう「独居房行き」。

 

色々後に追加はするかもしれないけど、「かなり酷かったな」というエピソードを挙げてみる。

 

胸くそ悪い話なので、精神不安定な方は以下気をつけてください。

 

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太る薬というけれど(レボトミン・リリカ)

薬、このままじゃいけないよな……とモヤモヤしてる。

 

夜寝る前の過食衝動を抑えるために、とレボトミン25ミリ錠を出されて確かに鎮静はしたけど、レボトミン自体はすごく太りやすい薬じゃなかったっけ?

 

精神科通院初期に飲んで副作用に悩まされた上位3位内だった気が。

(処方されたときチェックしなかったぐらい具合悪かったんだな、私……怖……)

 

 

先日の通院で、整形外科から出された鎮痛剤を見た医師は渋い顔をして

 

「これ太る副作用あるし、精神科の薬と影響しちゃうよ、痛み止めにこの選択? 意味わかんないなー」

 

言ってたけど、レボトミンだってそうじゃん。太りやすい薬じゃん。

 

膝のことを考えれば今より痩せてる方がいいのかもしれんよ、そりゃね。

 

じゃあレボもリリカ(少量)もやめたほうがいいのか……

 

 

幸い今は夜バカ食いしてないし、酒も飲んでいない。

 

夜に強まる不安感からバカ食いしていたのだから、太る副作用が出にくい新しい薬でも良かったのでは?

 

先生の経験上、使いやすかったから選ばれただけなのでは?

 

 

私も不勉強だったな。(ってそこまで勉強しなきゃダメ? ダメなのやっぱり?)

 

鎮静意外あちこち身体に働きかけちゃうレボトミン、長い目でみたら良くないし、先生は「慎重に処方を見直す」ということはこちらから働きかけない限りしない人だ。

 

私が自分で気をつけないと。

 

あと、先生がリリカ出した整形外科医のこと軽くdisったの、ちょっと怒ってるよ私。(思い出しアンガーw)

 

「胃腸が強い鎮痛剤に耐えられないので、精神科の処方も確認してもらった上で出してもらいましたよ」

 

と、説明したけど全ッ前納得してない顔だったな。

 

だったらそっちで先に指定しておいたらよかったのに。

 

そうすれば、私、伝書鳩しますよ。

 

(膝痛で鎮痛剤もらう予定は話してあった)

 

 

 

 

 

さて、今日整形外科に行ってきましたよ。

 

整形外科の先生に意を決して相談。

 

「膝悪いのに太る薬出すの何故? 痛み止めの選択として疑問」

 

って精神科医に言われちゃったんですけど、私、薬詳しくないのでどうしたらいいか混乱してます。

 

と。

 

整形外科医は鼻で嗤った。

(おお、長い付き合いだけどこんな黒い笑み初めて見たぞ!)

 

精神科医の勉強不足。それに尽きます。

点と点でものを捉えすぎ。全然ダメ。体重と膝痛の点を線で繋いだだけの発想じゃない。

そういうもんじゃないんだよね……。はー……(苛)

もういいよ、ルキさんこのまま僕が言ったこと精神科に伝えちゃってかまわない。

あと、太りやすさでいえばそっち(精神)で出してるものに比較してずっと確率低いし、量も少ないから。

気にせず続けて、痛みの少ない生活していいんだよ」

 

いやいやいやいや……そのまま伝えるとかどんな勇者か。

 

無理っす。

 

病院を出て、リリカの処方箋を薬局へ。

 

ついでに薬剤師さんにも、

「鎮静でレボトミン以外って選択肢はありだと思う?

昔飲んでどーんと体重増量した経験があるんだけど……」

 

と訊いてみたら、古い薬だし鎮静以外の作用もあるので、変えたいと言っていいと思う、という答えだった。

 

さらに、

「もし、お医者さんが聞いてくれなかったら、こちらから病院にお話することもできますので相談してください」

とのこと。

 

薬剤師ってそこまでできるんだね、知らなかったわ。

 

帰宅してすごく疲れたけど、自分の体や薬についてもっと知ろうと思えたのはよかった。

 

 

 

病気の自覚と生きる覚悟が欲しい

そんな1日だった。

 

調子悪くて、横たわる時間が長かったな。

 

入院の記憶が消えぬうちにと記事を書きかけて、

辛い、思い出したら結構悲しい。あれもこれも許したくない。

となり……途中で消去してしまった。

 

 病気の自覚

 

 毎日たくさん薬飲んでて、飲み忘れると動けないぐらいグズグズなのに、未だに私は朝から晩まで働いていた頃の考え方が抜けない。

 

だからちょっとでもいい感じが続くと、それが当たり前だし「普通に戻った」と思ってしまう。

 

病気だと、やっぱり認めたくない気持ちがある。

 

でも、このブログの引っ越しから調子よく続いた更新は、退院ハイみたいなものだったんだよね、たぶん。

 

異常な場所から開放されて、アレもこれもと詰め込み過ぎて、ようやく日常が戻ってきただけ。

 

自覚せよ、私の脳は壊れてるし、治る見込みは今のところないし、壊れてる期間に崩れた肉体も若い日のようにはならない。

 

うっわああああgSasGHS@aegR!!!!

 

て、叫びながらゴロゴロ転がったけど事実は変わらない。

 

虚しい。

 

生きる覚悟

 

唐突な感じの自殺未遂だったけど、日々の孤独と先の見通しがたたないことに耐えかねたからあんなことになった、と言えないか?

 

私は寂しい。

 

いつ死んでもいいようにと、活動的にモノや人間関係を整理していたときの清々しさは、コンサータの作用によるところが大きいのでは?

 

私は本当は、誰とも離れたくなんかない(モノはなくてもいいけど)。

 

友達とだって(話が合わなくても)たまにはやりとりしたいし、夫が死んで5年経っても夫が居ないことがただただ寂しい。

 

寂しい。そして薬なしじゃたまらなく不安だ。

 

 

でも覚悟して、破産までの時間を稼いで、もうちょっと生きたい。

 

今まで、「だめだ」「頑張る」を繰り返してたけど、もうほどほどでいいじゃん。

 

ちょうどいい感じだった、と夜、納得して寝たいんだよ。

 

たとえ睡眠導入剤の力だったとしても。

 

……とここまで書いたけど、治療がこのままでいいのか、モヤモヤはしてるんだよ。

 

やれること全部やったって、言えるのかな、って。

自殺未遂 「医療保護入院」

保護入院中は私物を部屋に持ち込めなかったので、メモが取れなかった。

 

早く早く、記事にしてしまわないと忘れてしまう。

 

救急搬送翌日

我が家に泊まってくれた妹に連れられ、通院している精神病院へタクシーで。

 

薬が抜けきっていないせいかフラッフラだったため、着後すぐ車椅子に乗せられた。

 

つい前かがみになってしまうんだけど、「落ちちゃうから背もたれに背をつけていて」と言われた。

 

どんな薬をどれだけ飲んだかわからないように、準備前にパッケージを処分していたため、妹は家にあるだけの薬を持って行き、

「この中のどれかをたくさん飲んだはず」

 

という説明をしたようだ。

 

どこに運ぶ?

どの部屋がいい?

 

と看護師達がザワザワしていた。

 

結局どこもいっぱいだったらしく、結局保護室に布団を敷いて無施錠で入れることにしたみたい。

 

そんなんだったら、受け入れられないっていってくれたほうがよかったよ!

 

急ごしらえの寝床は硬くて、痛くて寒かった。

 

 

 

入院手続き

 

その後、点滴の針刺しを何度も失敗され結局手の甲に刺される。

 

一度の失敗で、もう「手でお願いします」言ってるのに意地みたいに5箇所も刺された。

そのうちの一箇所は菌が入り、梅干しそっくりの水疱になった。

 

その他は打撲みたいな痣になった(針刺し直後しばらく圧迫してたらよかったんだけど、針跡多すぎて手が足りない)。

 

看護師や相談員が入ってきて、書類が渡され、サインを求められる。

 

入院計画書的? 正式名を忘れたけど、そこには

 

うつ病希死念慮

 

という病名の後に、

 

「11ヶ月の入院」

と予定が組まれていた。

 

こんな間に合わせっぽい部屋(そもそも保護室は外からカギかけて閉じ込めとくための部屋だ)で1年近くとかウソ……

 

 

一応サインはしたものの、死ぬのに失敗した罰ってこれ? と落ち込んだ。

 

妹は私が車椅子で連れて行かれた場所を知らない。

 

身内として色んな書類にサインし、ハンコを押し、入院の保証金を立て替えてくれた。

 

ここから5泊の不安で危険な滞在が始まる。

 

このあとは、カテゴリを「精神科入院(医療保護入院)」として、記憶の限り書いていこうと思います。

 

閉鎖病棟は、一度入ると出るの大変だよ、記録も取れないから中で起こったことはどんな酷いこともなかったことになってしまう。

自殺未遂 「ご病気女のホントの最初 2」

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続きです。

 

最初の声から数年~10年ぐらい置きに自殺をそそのかされ続けて、私は毎回、決定的なことができず、そのたびに「自分の弱さ」を強く自覚していくようになった。

 

決着の時は突然訪れた。

 

夕飯と、保存のきく惣菜の支度をしていた夕方のこと。

 

これから犬の餌を用意して、1日はもうすぐおわる、今日もようやく終わるとほっと緩んだ瞬間だった。

 

妙なことなので、健康な人には「??」だと思うんだけど、あったことだけを書いてみるね。

 

 

私の症状には、風景が二重写しに(現実&違う何処か。それぞれ別の景色だ)になる、というのがある。

 

私は気付いたら、キッチンなのにカジノに立っていた。

 

いつもより現実じゃない方の景色の画像は濃くて焦る。

 

周りは着飾った人たちで、私だけが部屋着に寝癖で恥ずかしくて逃げたいのに足が動かない。

 

人並みが割れて、その向こうにルーレット台があった。

 

赤と黒と数字に賭ける人たち。

 

私はそこに進まされる。

 

賭けている人たちの顔は茫洋として見えない。

 

一人、金の結婚指輪をした中年男の指だけが印象に残った。

 

例の声が「今だ、いまやれ」

 

不遜に言い放つ。

 

「え、なんで、いま?」

 

私は口に出しながら、現実の景色のなかで死ぬ準備を始めた。

 

あれが「今だ」というなら今なのだ。

 

↓ここからは具体的な内容になっています。

不安定な方にはおすすめできません。

 

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