病気の自覚と生きる覚悟が欲しい
そんな1日だった。
調子悪くて、横たわる時間が長かったな。
入院の記憶が消えぬうちにと記事を書きかけて、
辛い、思い出したら結構悲しい。あれもこれも許したくない。
となり……途中で消去してしまった。
病気の自覚
毎日たくさん薬飲んでて、飲み忘れると動けないぐらいグズグズなのに、未だに私は朝から晩まで働いていた頃の考え方が抜けない。
だからちょっとでもいい感じが続くと、それが当たり前だし「普通に戻った」と思ってしまう。
病気だと、やっぱり認めたくない気持ちがある。
でも、このブログの引っ越しから調子よく続いた更新は、退院ハイみたいなものだったんだよね、たぶん。
異常な場所から開放されて、アレもこれもと詰め込み過ぎて、ようやく日常が戻ってきただけ。
自覚せよ、私の脳は壊れてるし、治る見込みは今のところないし、壊れてる期間に崩れた肉体も若い日のようにはならない。
うっわああああgSasGHS@aegR!!!!
て、叫びながらゴロゴロ転がったけど事実は変わらない。
虚しい。
生きる覚悟
唐突な感じの自殺未遂だったけど、日々の孤独と先の見通しがたたないことに耐えかねたからあんなことになった、と言えないか?
私は寂しい。
いつ死んでもいいようにと、活動的にモノや人間関係を整理していたときの清々しさは、コンサータの作用によるところが大きいのでは?
私は本当は、誰とも離れたくなんかない(モノはなくてもいいけど)。
友達とだって(話が合わなくても)たまにはやりとりしたいし、夫が死んで5年経っても夫が居ないことがただただ寂しい。
寂しい。そして薬なしじゃたまらなく不安だ。
でも覚悟して、破産までの時間を稼いで、もうちょっと生きたい。
今まで、「だめだ」「頑張る」を繰り返してたけど、もうほどほどでいいじゃん。
ちょうどいい感じだった、と夜、納得して寝たいんだよ。
たとえ睡眠導入剤の力だったとしても。
……とここまで書いたけど、治療がこのままでいいのか、モヤモヤはしてるんだよ。
やれること全部やったって、言えるのかな、って。