ご病気じゃないの

旧FC2ブログ『ご病気じゃないの?!』自殺遺族で自殺未遂者

夫の死について 「火葬と葬儀」

まとめて読めるように、リンクを貼っておきます。別窓で開きます。

 

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どうやって夫の死後の諸々を片付けられたのか、今持って謎だ。

 

とにかく、ちゃんと見送ってやらなくてはならない、という想いだけで動いていたと思う。

 

 

夫の死亡診断書代金は15,750円だったと思う。病院に行くのは辛かったので、銀行振込させてもらった。

 

遺体検案料とは別なのだな……。

 

ちょっとひっかかる。死体検案料を払っているのに、死亡届が別に必要だったのか。

 

死体検案書と死亡届は一枚の紙なのに、警察で貰わなかったのだろうか。思い出せない。

 

 

 

遠方に住む、中学時代からの友人七瀬(仮名)が自分の家族のことも置いて飛んできてくれた。

 

私達の結婚式の時は彼女は出産直後で、生きている夫に会ったことはない。

 

七瀬と会うのは、ほぼ10年ぶりだ。失踪した数日後から心配して、死を報せたら当たり前のように来てくれた。

 

本当にありがたかった。独りの夜を、犬とどうやって過ごしていいのか途方に暮れていた。

 

睡眠導入剤も抗アレルギー剤も殆ど眠りの助けにならなかった。

 

1泊は妹が、もう1泊は母が居てくれたが、それぞれ事情もあってずっとそばにいるというわけにはいかなかった。

 

 

 

 

一体どんな順番だったのか、記憶が完全ではないので、誤りもあるかもしれない。

 

なるべく正しく記事にしたいので、今後正しい資料など出てきたら訂正していく予定。とはいえ、今、夫の死の資料全てをじっくり見るのはまだ辛い。

 

 

夫の会社に死亡の連絡をした。その際、夫が家に置いていった会社用携帯電話をまだ持っていたいことを伝えた。

 

それから、休暇中誰がなんども電話してきたのかと気になって、暗証番号を思いつく限り入力したが解除できなかった。

 

このことは、その後会社から説明があったときも個人情報保護の点から教えることは出来ないと断られた。

 

家のパソコンの検索履歴に、彼の担当したと思しき会社が一社出てきた。彼の失敗はこの会社絡みだったのかもしれない。

 

これも会社に尋ねたが答えは貰えなかった。

 

 

 

 

これを出さないことには何も出来ないということで、死亡届を出しに役所に行ったと思う。そこで今後やることリストのような紙を貰った。

 

ずらりと並んでいて、呆然とした。人が一人死ぬとこれだけの手続きが必要なのかと。

 

その日だったか後日だったか、覚えていないが、夫の死後何度も心配して電話をくれた障害福祉課にも赴いた。

 

今までの事情を話すと、経済的負担を少しでも減らせるように、様々な行政サービスを提案された。

 

職員さんは個室で話をじっくり聴いてくれて、思わず泣いた。ティッシュまで用意してくれた。

 

内容のほとんどは頭に入らなかったが、それもまた、一覧表を貰った。細かな書き込みが赤ペンでしてあったと思う。

 

 

 

次は七瀬を伴って葬儀社に行った。

 

夫側の親族のうるさいおじさんが社長をしている葬儀社。

 

私は、夫の職場は遠く、それほど大勢の人は来ないだろうし、身内だけで見送るので一番シンプルなプランで頼んだ。

 

見積書をみて、七瀬もこれならと私に頷いた。七瀬は自分の母親の葬儀のほとんどを仕切ったのでこの辺りのことは詳しかった。

 

葬儀は火葬のあと行うことに決めた。いつまでも気の毒な形のままいさせたくなかったからだ。

 

 

 

時期的に、火葬場は混み合っていた。春先というのは老人の見送りが多いし、この町は老人だらけだ。

 

数日待って、火葬の日。

 

葬儀社の安置室に行くと、夫の棺の上には豪華な花束が置いてあった。今日ここに来られなかった友人がせめてと贈ってくれたものだった。

 

棺が開かれた。

 

夫はこんなモアイみたいに眉間から盛り上がった鼻じゃない! 白い布をかぶっていてもまるきり別人だと思った。

 

棺に触れると、ずっしりとした木の感触があった。いい棺に入れてもらったんだなとその時はただ思った。

 

それから夫の太ももに触れた。棺の感触とまるで違う、カスカスの軽い感じ。発泡スチロールのようだ。

 

損傷が激しい、とは聞いていたけれど、太ももが無いなんて……。怖くてもうそれ以上あちこち触れられなかった。

 

 

友人たちは入れてはいけないものを予め葬儀社に聞いていて、本当はコレじゃないんだけど……と、プラカップのお酒を入れた。

 

金属だのガラスは入れてはいけないらしい。ほとんどゴミの分別と一緒だ。

 

私は夫が読んでいる途中だった続き物の歴史小説と大好きなリゾート地で過ごす服一式を入れた。

 

棺が閉じられて、私は霊柩車に乗りこんだ。ずいぶんと年季の入った車だった。

 

助手席のシートの一部は切れて中のスポンジが覗いていた。運転はおじさん(社長)がした。

 

 

 

火葬場に行くと、会社の上役二人が玄関に待っていた。

 

挨拶をしたが、二人は待合室には入ってこなかった。ケンが気を遣って二人と一緒に廊下で待った。

 

焼香して火葬の準備ができると、私一人が残るように言われた。

 

確かに今から夫の亡骸を焼くのだと、確認しなければならないのだ。恭しく扉を閉め、火葬のボタンを押す職員に私は頭を下げた。

 

終わって、ホールから廊下に入ると七瀬が待っていて私の肩を抱いた。私はその手を握った。

 

待合室には、友人たち、それから舅(姑はすでに他界している)と義兄(4人きょうだいの長兄)、私の両親と妹がいた。

 

そこで、ひとつ困ったことが起こった。私の父が葬儀代は会社や市からの補助で補えるとか、お金の話を舅と義兄の前でし始めたのだ。

 

父は圧倒的に空気が読めない。

 

私は頭を抱えたくなった。こいつを叩きだせ! と脳内で叫んだ。

 

にわかに場は緊張を帯びた。

 

「お父さん、それはちゃんとするから……」

 

私はそれだけ言って、逃げた。いたたまれなかった。

 

喫煙所に移った友人たちに混ざって、待った。大きな窓から見える桜はそこだけ日当たりが良いのか満開で、もう花びらを散らしていた。

 

 

 

火葬が終わって、骨を拾った。夫の上役も加わった。

 

骨は今まで見た誰よりも大きく太く、重かった。これまで見たのは全て老人のものだったので、あまりの違いに、また、生々しさに慄いた。

 

すすり泣く声が小部屋に溢れたが、私は泣かなかった。

 

貧血一歩手前みたいな気分で、黙々と箸を使った。

 

骨壷もまた、かつて見ないほど豪華なものだった。全面に絵付けしてあって、成金趣味っぽかった。

 

ふだんは無印良品の丼でごはんを食べるような夫だというのに。

 

その上、骨壷の箱を覆う布は紺地に金の錦でギラギラしている。なんてグロテスクなんだ。

 

シンプルに、と強調しておいたのに……。

 

 

 

ギラギラした箱を胸に抱いて、私は帰りの車に乗った。義兄が大型の車を出してくれた。

 

車内で、舅がこんなことになって申し訳ないと言った。私こそ……とうなだれた。

 

それから舅は、夫が過去にも意識障害で病院に運ばれたことがあると告げた。その時は何を言っても返答がトンチンカンで明らかに変だったのに、検査の結果はなんでもなかったと。

 

もしかしたら、自殺じゃなくて、そんな状態になってしまって崖から落ちたのかもしれないと、同乗した友人がつぶやく。

 

きっとそうだと、皆頷く。

 

そうかもしれない。そうじゃないかもしれない。

 

帰宅して、皆がいなくなると家中遺書を探した。失踪中も探したが、もう一度探した。メモの一片も見つからなかった。

 

ギラギラした錦の布に異様に腹が立ち、私はそれを剥いで、ベランダの物干し竿にぶら下げた。

 

白い風呂敷だけになった夫を、そっとテレビの前のテーブルに置いて、「生きていけない」と床にうずくまって泣いた。

 

七瀬が背中をさすり続けた。生きていけない。生きていけない。

 

「ルキはもっと、幸せになっていいと思う……」

 

七瀬の声は静かだった。

 

 

 

 

告別式の日はよく晴れて、桜が満開だった。

 

風は少し強かったものの、暖かく、参列者に寒い思いをさせずに済んだのは幸いだった。

 

参列者は想像の倍以上だった。職場の方も大勢来てくださったが、それ以外の友人も、平日にも関わらずお別れに来てくれた。

 

一方、身内はといえば寂しいものだった。

 

舅と義兄、従兄弟はいたが、義姉は仕事、もう一人の義兄は家族旅行で来なかった。夫は特に家族に迷惑をかけたことはない。結婚式には皆来たのだから。

 

義兄はなんとも居心地が悪そうだった。

 

私の方は、父方は来ず(もともとそれほど付き合いはないが)、母方のおじ・おばは殆ど来た。遠方からも。それから妹家族と妹の舅。

 

受付係はリカとケンと、もう一人、地元の姉とも言えるレミが引き受けてくれた。(すべて仮名)

 

想像以上に参列者があって、お金の計算が合わないと何度も計算し、食事の時間も取れないほど忙しくさせてしまった。

 

式は滞り無く済んだ。

 

挨拶は義兄と私がした。私は前日にネットで例文集を見て、無難に用意したものを読み上げただけだ。

 

ただ、死因は言わずにおいた。

 

知っているひとは皆知っているのだし……。

 

お斎のとき、献杯の挨拶は母方の叔父がした。甥っ子がお弁当を楽しげに眺めてアレはなに? コレはなに? と訊く。可愛くて、心がなごむ。

 

会社の上役たちはお斎が始まる前にさっと席を立ち、帰っていった。

 

僧侶はなんの縁もゆかりもない近所の寺から、でっぷり太っていい時計を嵌めた人が派遣されてきた。葬儀社のおじさんに言われるまま15万円包んだ。

 

今後も相談に乗りますと、ビジネスライクに名刺を貰うも、お布施の領収書は貰えなかった。

 

それが当たり前なんだろうけど、お寺の経理って一体どうなっているのだろうと不思議に思う。

 

 

 

葬儀社から請求書が出た。

 

予想外の参列者の数を足したとしても、驚くような請求額だった。

 

払えないことはないけど、どこが「シンプル」??

 

重厚な棺(桐の高級品)、装飾過剰な骨壷、修理も怠るボロい霊柩車……。嫌な予感はしていたのだ。

 

七瀬が見積もりと見比べて、憤る。

 

「親戚なんでしょう??」

 

「……これからはそう思わないことにする」

 

私はぐったりと横たわった。

 

まだまだやることはあるけど、やるせなくてもう動けない。

 

お金を母に渡して、支払いに行ってもらった。社長とは以来会っていない。